個人事業主として事業が軌道に乗ってくると、「そろそろ法人化した方がいいのでは?」という疑問が浮かんできます。
しかし、「いつ」法人化すべきかの判断は、思いのほか難しいものです。
ネット上では「利益800万円で法人化」「消費税の免税期間を延ばすために法人化」といった情報を見かけますが、これらは必ずしも正しいとは限りません。特に令和5年10月のインボイス制度導入以降、消費税に関する法人化戦略は大きく変わっています。
この記事では、法人化のタイミングを判断するための基準を整理します。
Contents
法人化を検討する「利益額」の目安
まず、最も基本的な判断基準である「利益額」から見ていきましょう。
ここでいう「利益」とは、売上から経費を差し引いた「所得」のことです。個人事業主の場合は「事業所得」、法人の場合は「法人所得」と呼ばれます。税金の計算はこの「所得」をベースに行われるため、売上ではなく所得で判断することが重要です。
よく言われる「800万円〜900万円」の根拠
「所得が800万円〜900万円を超えたら法人化を検討すべき」という話をよく聞きます。この数字の根拠は、所得税と法人税の税率の違いにあります。
【個人事業主の税負担】
個人事業主の所得税は累進課税で、所得が増えるほど税率が上がります。所得900万円を超えると所得税率は33%になります。これに住民税10%を加えると43%です。
さらに、個人事業主には「個人事業税」がかかります。事業所得が290万円を超えると、超えた部分に対して原則5%(業種により3%〜5%)が課税されます。つまり、所得900万円超の個人事業主は、所得税33%+住民税10%+事業税5%=最大約48%の税負担となります。
【法人の税負担】
一方、法人税は中小法人の場合、所得800万円以下の部分が15%、800万円超の部分が23.2%です。
※資本金1億円以下の中小法人の場合。なお、令和7年度税制改正により、所得金額が年10億円を超える事業年度については、800万円以下の部分の税率が15%から17%に引き上げられました(2025年4月1日以降開始事業年度から適用)。ただし、起業直後の方には関係のない話です。
しかし、法人にも住民税や事業税がかかります。
- ・法人住民税:法人税額の約17%(地方法人税を含む)+均等割(年間7万円〜)
- ・法人事業税:所得の約9.6%(特別法人事業税を含む)
これらを合計すると、法人の表面税率は、所得800万円以下の部分で約25%、800万円超の部分で約37%程度になります。個人事業主の最高税率(約48%)と比べると、法人の方が税率は低くなります。
法人化の隠れたメリット——利益の「置き場所」を選べる
さらに、法人化には税率の比較だけでは見えないメリットがあります。それは「利益の置き場所を選べる」ということです。
個人事業主の場合、事業で得た利益はすべて「事業所得」として課税されます。選択の余地はありません。
一方、法人の場合は、利益を「役員報酬として自分に支払う」か「法人に残す」かを選べます。
- ・役員報酬を多くする→個人の所得税・住民税がかかる
- ・法人に利益を残す→法人税等がかかる(税率は低め)
たとえば、所得が1,000万円ある場合、すべてを役員報酬にするのではなく、法人に400万円残して役員報酬を600万円にすれば、個人の税率が下がり、トータルの税負担を抑えられる可能性があります。
この「配分の最適化」ができることが、法人化の大きなメリットの一つです。具体的は配分は、社会保険料も含めたシミレーションが必要ですので、詳しくは税理士にご相談ください。
しかし、税率だけでは判断できない
ここで注意が必要です。法人化すると、税金以外にも様々なコストが発生します。
- ・社会保険料の会社負担(役員報酬の約 15%)
- ・法人住民税の均等割(赤字でも年間7万円〜)
- ・税理士報酬の増加(個人より複雑なため)
- ・設立費用(株式会社で約 25万円)
これらを含めて考えると、「利益800万円で必ず法人化すべき」とは言えません。
現実的な目安
私の経験から言えば、以下のような目安で考えるのが現実的です。
| 年間所得 | 判断 |
|---|---|
| 500万円以下 | 個人事業のままで問題なし |
| 500万円〜800万円 | 状況による。社会保険料を含めたシミュレーションが必要 |
| 800万円〜1,000万円 | 法人化のメリットが出てくる可能性が高い |
| 1,000万円超 | 法人化を積極的に検討すべき |
ただし、これはあくまで目安です。家族構成、他の収入の有無、将来の事業計画によって、最適なタイミングは変わります。
インボイス制度導入後の消費税事情——「免税期間延長」戦略は有効か?
以前は「消費税の免税期間を延ばすために法人化する」という戦略がよく語られていました。しかし、インボイス制度の導入により、この戦略の有効性は大きく低下しています。
かつての戦略
インボイス制度導入前は、以下のような戦略が有効でした。
- ・個人事業で基準期間の課税売上高が1,000万円を超える
- ・消費税の課税事業者になる前に法人化する
- ・法人は設立後2年間は免税事業者になれる(資本金1,000万円未満等の条件あり)
- ・結果として、消費税の免税期間を延長できる
この戦略を使えば、個人で2年+法人で2年=最大4年間、消費税を納めずに済む可能性がありました。
インボイス制度導入後の現実
しかし、令和5年10月のインボイス制度導入により、状況は大きく変わりました。
インボイス制度のもとでは、取引先が「適格請求書(インボイス)」を求める場合、免税事業者のままでいると取引上不利になる可能性があります。
- ・取引先が仕入税額控除を受けられなくなる
- ・結果として、取引を断られる、または値下げを求められるリスク
- ・免税事業者でいるメリットが薄れる
つまり、「免税事業者でいること」自体のメリットが小さくなったため、「免税期間を延ばすための法人化」という戦略も意味が薄れています。
現在の判断基準
インボイス制度導入後は、消費税の免税期間よりも、以下の点を重視して法人化のタイミングを判断すべきです。
- ・所得税・法人税・住民税・事業税・社会保険料を含めたトータルの負担
- ・事業の成長見込みと資金需要
- ・取引先との関係(法人格を求められているか)
- ・有限責任のメリットが必要かどうか
消費税の免税期間だけを理由に法人化のタイミングを決めるのは、もはや得策ではありません。
決算月の決め方——「利益が上がる月」を避けるべき理由
法人化を決めたとして、「決算月をいつにするか」も重要な問題です。法人の決算月は自由に選べますが、選び方を間違えると思わぬ税負担を招くことがあります。
「利益が上がる月」を決算にしてはいけない理由
たとえば、12月が繁忙期で売上が集中するビジネスを考えてみましょう。この場合、12月を決算月にすると何が起きるでしょうか。
- ・12月に大きな売上が立ち、利益が一気に膨らむ
- ・しかし、その利益に対して決算対策を打つ時間がない
- ・節税のための設備投資や経費計上が間に合わない
- ・結果として、想定以上の納税を強いられる
利益が出た瞬間に決算を迎えてしまうと、その利益を有効に活用する余地がなくなってしまうのです。
良い決算月の選び方
では、どのように決算月を選べばよいのでしょうか。理想的なのは、以下のような時期です。
【理想的な決算月の条件】
- ・繁忙期で稼いだ利益を「消化」できる時間的余裕がある
- ・決算対策(設備投資、賞与支給、経費の前倒しなど)を検討・実行する余裕がある
- ・仕事が少し落ち着いていて、決算作業に集中できる
つまり、「繁忙期の2〜3ヶ月後」あたりが決算月として適していることが多いです。
【具体例】
- ・12月が繁忙期 → 2月〜3月決算が良い
- ・3月が繁忙期 → 5月〜6月決算が良い
- ・夏(7〜8月)が繁忙期 → 10月〜11月決算が良い
繁忙期に利益が出て、その後の閑散期で利益の使い道を考え、必要な投資や経費計上を行い、落ち着いたところで決算を迎える——このサイクルが理想的です。
避けた方がいい決算月
- ・繁忙期と重なる月:決算作業に手が回らない
- ・利益が急増する月:決算対策の時間がない
- ・資金繰りが厳しい時期:納税資金の確保が難しい
法人化を「急ぐべき」ケース
以下のようなケースでは、所得金額に関わらず、早めに法人化を検討すべきです。
取引先から法人化を求められている
「法人としか取引しない」という方針の会社は少なくありません。大手企業との取引を拡大したい場合、法人化は必須条件になることがあります。
取引機会を逃すコストは、法人化のコストより大きい場合が多いです。
従業員を雇用する予定がある
従業員を雇う場合、法人の方が採用で有利です。
- ・「株式会社○○」の方が求人に応募が集まりやすい
- ・社会保険に加入できることが求職者にとってメリットになる
- ・将来の事業承継を見据えた組織づくりができる
融資を受けたい
金融機関からの融資は、一般的に法人の方が受けやすい傾向があります。
- ・法人は決算書で財務状況が明確になる
- ・登記情報で会社の実態が確認できる
- ・日本政策金融公庫の創業融資など、法人向けの制度も充実
事業リスクが高い
事業に失敗した場合のリスクが高い業種では、有限責任のメリットを活かすために早めの法人化を検討すべきです。
- ・在庫を多く抱える商売
- ・設備投資が大きい事業
- ・取引金額が大きい事業
法人化を「急がなくていい」ケース
逆に、以下のようなケースでは、無理に法人化を急ぐ必要はありません。
利益が安定していない
法人は赤字でも法人住民税の均等割(年間7万円〜)を支払う必要があります。所得が安定しない段階では、個人事業のままの方が柔軟に対応できます。
取引先が個人消費者中心
飲食店、美容室、個人向けサービスなど、取引先が個人消費者中心の場合、法人格のメリットは小さくなります。
一人で事業を続ける予定
従業員を雇う予定がなく、一人で事業を続けるなら、法人化のメリットは限定的です。事務負担の増加を考えると、個人事業のままの方が楽な場合も多いです。
副業として行っている
本業の会社員を続けながら副業として事業を行っている場合、法人化すると社会保険の問題が複雑になります。副業の規模が大きくなるまでは、個人事業のままが無難です。
法人化のタイミングを決める前にすべきこと
法人化のタイミングは、一般論では決められません。以下の準備をしてから判断することをおすすめします。
具体的な数字でシミュレーションする
「所得800万円で法人化」という目安は、あくまで平均的な話です。あなたの場合にどうなるかは、具体的な数字でシミュレーションしないとわかりません。
- ・現在の所得と税負担(所得税、住民税、事業税)
- ・法人化した場合の役員報酬設定
- ・社会保険料の試算
- ・法人の維持コスト(法人住民税均等割、税理士報酬など)
これらを具体的に計算して、「個人のままの場合」と「法人化した場合」を比較してください。
将来の事業計画を明確にする
法人化は「今」だけでなく「将来」を見据えた判断が必要です。
- ・3年後、5年後にどのくらいの規模を目指すか
- ・従業員を雇う予定はあるか
- ・事業を承継する可能性はあるか
将来の計画によって、法人化の最適なタイミングは変わります。
専門家に相談する
法人化のシミュレーションは、税理士に依頼するのが確実です。
初回相談は無料という事務所も多いですから、気軽に相談してみてください。「まだ早い」という結論になっても、その判断材料を得られることに価値があります。
まとめ——焦らず、でも先延ばしにしすぎず
法人化のタイミングは、「早すぎても遅すぎてもよくない」というのが正直なところです。
早すぎると、維持コストが利益を圧迫します。遅すぎると、取引機会や節税機会を逃すことになります。
大切なのは、感覚ではなく「数字」で判断すること。そして、一度決めたら迷わず実行することです。
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